「2015年沖縄合宿報告」・・・田代穣(沖縄合宿担当)


OB・OGの皆さまこんにちは。
私たち1・2年生の現役部員は、沖縄県において3/4〜3/10の6泊7日の日程で春合宿を行いました。 池田様をはじめとしたOB会の皆様方の温かいご支援のおかげで、非常に充実した合宿を行うことができました。まずは厚く御礼申し上げます。
簡単ではありますが、全7日間の経過を述べさせていただきます。

★宿泊場所:3/4〜3/10 沖縄県那覇市「沖縄県青年会館」
★練習場所:3/5〜3/9 沖縄県南風原(はえばる)町「黄金森(こがねもり)公園陸上競技場」
3/5 沖縄県那覇市「奥武山(おうのやま)公園陸上競技場」
3/6 沖縄県那覇市「波の上ビーチ」
3/7 沖縄県浦添(うらそえ)市「浦添市陸上競技場」
3/8 沖縄県西原町「きらきらビーチ」

合宿1日目(3月4日)
参加部員総勢37名は、夕方に成田国際空港を発ち、那覇空港へ到着しましたのは夜の10時過ぎ。生憎の曇り空ではありましたが、 夜にもかかわらず肌着にTシャツ1枚でも出歩けるほど温暖な気候で、沖縄に到着したことを実感しました。 宿舎(沖縄県青年会館)到着後は各自自由行動としました。沖縄到着の興奮冷めやらぬ様子の者や、 飛行機移動の疲れから、入室後すぐに寝始める者など、部員によって様々に合宿初日を終えました。

合宿2日目(3月5日)
陸上競技場(黄金森)への移動には、宿舎のレンタルワゴン2台に加え、琉球大学の方の自動車にも同乗させていただきました。 沖縄での生活には車が欠かせないそうで、琉大の部員の方々も、ほとんどが1人1台所有していると知り、 東京での便利な交通状況を改めて思い知らされた出来事でした。
琉球大学との合同練習初日ということで、始めのうちは一橋・津田塾の部員は少々ぎこちない様子ではありましたが、 琉大生の方々の明るく接しやすい人柄に助けられ、徐々に打ち解けることができました。また、フィールドパートは午後には 奥武山公園の陸上競技場へ移動し、投擲練習等を行いました。この日は1日を通して曇り空となり、想像していたような 沖縄らしい晴れ間は見えなかったものの、大きく天気がくずれることもなく、フィールドにとっても貴重な技術練習日和となりました。

合宿3日目(3月6日)
琉大との合同練習は2日目に突入しました。この日は残念ながら不安定な天気となり、中長距離パートは午前、 沖縄合宿 強い雨に打たれながらの練習ではありましたが、沖縄の温暖な気候に助けられ、身体を冷やし過ぎることなく練習を終えることができました。 この時期まだまだ肌寒い気候の東京では、このような練習は考えられないことでした。短距離パートは午後、 雨を避けて競技場近くの体育館にて練習を行いました。そこで琉大生に勧められた、バレーやバスケを取り入れたウォームアップは、 一橋・津田塾の部員にとっては新鮮だったようです。また、練習の合間には三大学の部員がくだけた調子で会話する一方、 同じ練習メニューを互いを意識しつつこなすなど、いよいよ合同練習らしい、程好い緊張感が感じられ始めました。


合宿4日目(3月7日)
中日は文化学習のためのオフ日ということで、午前は自由行動とし、各々が沖縄の雰囲気を堪能したようです。 観光スポットとして有名な国際通りでは、豊富な土産屋の試食を楽しみつつ、昼食では沖縄そばやタコライス等、 沖縄合宿 沖縄特有の食文化に触れました。また、短距離パートは琉大の方に案内してもらい、漁港や沖縄の伝統的家屋を見て回りました。
午後は文化学習ツアーということで、琉球大学の部員とともにひめゆりの塔と平和祈念公園をめぐりました。 ひめゆりの塔祈念資料館には、当時学徒たちが体験した凄惨な様子が数多く展示されており、その想像以上の生々しさは、 戦争を知らない私たちのような世代には衝撃的なものばかりでした。沖縄県営平和祈念公園は沖縄戦終焉の地である糸満市海岸沿いの 丘陵に面しており、高台にある「平和の火」からは、海岸線が一望できました。残念ながらこの日も天候がすぐれず、 晴天時に比べると少々淀んだ空模様と海景色ではありましたが、沖縄戦の際にアメリカ軍の艦砲撃を受け地形が変わってしまったという、 公園沿いのそり立った岸壁は、沖縄戦の壮絶さ・生々しさを感じさせ、非常に有意義な文化学習となりました。


合宿5日目(3月8日) 沖縄合宿
合宿も中日を終え、練習日程も残すところあと2日間となりました。この日は久々に天気に恵まれ、 中長距離パートの朝練では砂浜をジョグしながら、朝日に照らされていく綺麗な海岸線を見ることができました。
またこの日は5・6日に引き続き、本島出身の琉大生から沖縄の歴史と文化についてのスピーチをしてもらいました。 1回目は沖縄戦時の米軍の様子、2回目は沖縄戦が戦後教育へ与えた弊害、そして3回目になるこの日には、 沖縄特有の文化「方言札」の意味について、毎回5分程度のスピーチではありますが、一橋・津田塾一同興味深く聞き入っていました。

この日は運の良いことに午後も好天が続き、短距離パートはきらきらビーチへ移動し練習を行いました。 沖縄合宿 沖縄の砂浜は昨年合宿を行った千葉の砂と較べると、粒がきめ細かく練習がしやすかったようです。


合宿6日目(3月9日)
琉大との合同練習最終日となりました。各パートは午前練習の強度は軽めに抑えつつも、最後の合同練習を質の 高いもので終えようと集中力を維持して臨もうとしている様子でした。この日の天候は雨こそ降らなかったものの、 曇り空に加えてホームストレートに強い向かい風が吹いており、打ち上げリレーには少々辛いコンディションでした。
午前練習の勢いのままに行われた打ち上げリレーは、池田様・マネージャーを含み全体を4チームに分け出走いたしました。 人数の都合上1人200mを走りバトンを繋いだ今回のリレーでは、順位の変動こそあまりなかったものの、互いの大学の部員の 沖縄合宿 名を呼び合い、大いに盛り上がりました。

夜には那覇市内の居酒屋で懇親会が開かれました。普段は紳士的な飲みばかりだという琉大生は、 一次会の最序盤からエンジン全開で泡盛まで飲み出す一橋生のハイペースに驚いておりましたが、会が続くにつれ 三大学入り交じりつつ和気あいあいと語り合い、数年に一度の貴重な機会を心底楽しんでいるようでありました。



合宿7日目(3月10日)
アルコールの抜けきらない身体で朝に集合を行うと、昼頃の飛行機の出発時刻に間に合うよう各々自由に沖縄最後の時間を過ごしました。 昨晩の騒然とした懇親会から一転し、各自が粛々と那覇空港へと向かう様子は、7日間にわたる沖縄合宿の終わりを それぞれに惜しんでいるよう見受けられました。
今回の合宿では、旅券予約の都合上、部員を二便に分けての帰路となりました。しかしいずれの便も昼頃に那覇を発つと、 定刻通り成田国際空港へ到着、無事に6泊7日の合宿が終了いたしました。

3〜4年に一度の機会であるこの沖縄合宿は、琉球大学の陸上競技部と合同で行うことが恒例となっております。 沖縄合宿 今回の合宿でも出発前の準備段階はもちろんのこと、沖縄での送迎や練習最終日の夜にわたって、琉大の部員には多大な協力をしていただきました。 今回も都合により、琉大生とともに同じ宿舎で寝泊まりするというような形を採ることはできませんでしたが、 練習や昼食、移動の車中や懇親会等を通じて三大学の間に確かな絆が作られたことは間違いありません。沖縄戦に関する文化学習、 三大学合同練習等、琉大陸上部との交流を通じ、約半世紀(第1回沖縄合宿は1967年)にわたる伝統を後輩へと繋げていくことの意義を身を以て感じました。

合宿を終えた今、私たち現役部員は、間近に迫ったシーズン初対校戦となる四大戦へ向け、全力で頑張っております。 合宿後春先の記録会や部内トライアルではベストを出した者もおり、この合宿が実り多いものであったということを、 この流れのままに対校戦を始めとする数々の試合の場で証明したいと思います。是非とも、引き続き温かい ご支援、ご声援をよろしくお願いいたします。
最後になりましたが、今回の沖縄合宿の実施を支えてくださったすべての方々に重ねて御礼申し上げます。 どうもありがとうございました。

平成27年4月5日

写真説明
写真1(中長距離パートの練習風景。練習後の体幹トレーニング中)
写真2(平和祈念公園「平和の火」から見えた海岸線)
写真3(琉大生スピーチの様子)
写真4(短距離パート、砂浜での練習風景)