理事雑感

OB会役員を退任して・・・・・前副会長 水野 晴夫(昭和42年卒)

 この3月のOB総会にて副会長を退任いたしましたが、 振り返ってみると貴重な経験をさせていただいたと思っております。 同期の殆どの皆さんが地方勤務で、小生に転勤がないと言うこともあって、 気が付いてみると吉見幹事長(故人)と内藤会計幹事(S38卒)の下で OB会の雑務を担当させていただいておりました。

 そうこうしている内に 内藤先輩が幹事長に就任され、有無も言わさず副幹事長に任命されましたが、 OB会の実務がよく分からず、戸惑ったことを覚えております。 それでも居酒屋での内藤先輩のご指導を頂きながら、 OB会の成立ち等を学んでいきましたが、知れば知るほど 諸先輩諸氏のOB会に対する熱い思いに心をうたれました。 2年経ちやっと慣れてきたなと思っていた矢先に、 内藤先輩から幹事長就任を申し渡されました。 1期2年で退任されるのは早すぎますよと抗弁したが受け入れられず、 平成13年6月に幹事長を引き継ぎました。 その際に内藤先輩は、昭和38年以前の幹事諸氏は顧問に就任頂くと言う 若手世代の奮起を促す施策も実行されました。 千葉会長のご指導のもとに幹事長を務めましたが、 中堅どころの現役会員諸氏が多忙で役員の人出が足りず、 事務局を担当していた渡邊祥子さんに可なりの負担をお掛けしてしまい、 今でも申し訳なく思っております。それでも内藤先輩の施策は徐々に浸透し、 現在の青木会長の体制に繋がっていると思っております。

 このように長いOB会の役員期間の中で忘れられない思い出は、 70年史  創部70周年記念誌「一橋大学陸上競技部史」の編纂作業に携わることが出来たことです。 尾本会長のご指示を受け平成5年6月にスタートしたものの、 編集経験がない素人集団のうえに、昔の記録等が収集、整理されておらず、 しばしば編集会議が立ち往生。そのうちに分冊で発刊するアイディアが出てきて、 都留先生が部長に就任される前年の昭和33年までを第1部として発刊することにして、 阿部編集委員長(S29年卒、故人)の下で平成9年4月に発刊(334頁)にこぎ着けた。

 第2部は昭和34年から平成元年までで、第1部の経験を活かし、 佐野編集委員長(S35年卒)の下で2年後の平成11年4月に発刊(532頁)することが出来た。 第1部と第2部の編集リーダーとして関与したが、 第1部では阿部、松永(S34年卒)、内藤の各先輩に、 第2部では佐野先輩に多大のご指導をいただき、第1,2部を通して 編集実行部隊として、中村君(S54年卒)と西君(S57年卒)には 奮迅の活躍をして頂いたことが鮮明に脳裏に焼き付いている。 念願であった創部70周年記念誌を無事刊行した時の充実感は何よりにも 代え難いものとして思いだされる。
 創部は1923年なのであと11年で 100周年になる。楽しい記念誌を心待ちにしている。 (完)

(5月7日 受信)