「上を向いて」・・・・・・・・・ 吉田 賢一(1990年入学)

吉田さん
陸上部OB、OGの皆様ご無沙汰しております。いかがお過ごしでしょうか?
1990年入学の吉田賢一です。現役時代は、投擲でハンマー投げをしていました。高校時代の延長でハンマー投げを続けましたが、実は高校の陸上部が全国的に有名であったのを知らず入部した私は、その高校の短距離についていけず、結果としてハンマー投げをしていました。大学時代は先輩、同期に沢山我儘を言いました。すいませんでした。

 さて、ハンマー投げは最後に上を向いて「ウォー」といった雄叫びをあげ、体中の力を発散し投げていることはテレビ観戦等で理解頂けると思います。
ハンマー投げの基本的な動作は3つ、@スウィング Aターン Bフィニッシュ。動作はどれも難しいのですが、特に難しいのがターンです。現役時代、「なぜ練習で何回・何十回もターン(回転)して目が回らないか」と質問されました。答えは簡単で、「回転のとき、上下を見ようとするから目が回り、体の平衡感覚を失うのであって、視線を一定に保てば、目が回ることはないし、バランスも失わない。だから投げることができる」というものですが、これを習得するのに1年かかりました。

 話は変わりますが、私は1994年に大学を卒業後、三和銀行(現:三菱東京UFJ銀行)に入行しました。慣れない事務に翻弄されながら、大手町にあった本部へ異動。2004年3月にUFJ銀行を退職し、今のコンサル会社へ転職しました。転職してから9年半が経過しました。

思えば、銀行入行後の1997年頃は下を向きっぱなし (バランス感覚最低)、2001年頃は毎年千億円近い不良債権処理(バルクセール)という特別な分野での 技能を発揮しつつ、ようやく視線が水平にもどり、2004年に更なる飛躍、上を目指すべく転職。この9年間、「上には上がいる」ことを感じながら生活をしてきましたが、今2013年は、周囲の変化に対応しなければ今の生活を 維持することさえ難しい、と感じています。最近は渾身の一投と思える仕事が出来ないからかもしれません。 吉田さん

 生活環境ですが、業務上の対応と、会社の家賃補助もあって、東京都港区の麻布十番に住んでいます。住むには大変便利なところですが、住居費も含め、生活費は相応にかかりますが、こればかりは仕方がない、と思っています。

ところで麻布十番での唯一の観光スポットをご存知ですか? 
麻布十番内パティオにある「赤い靴の女の子・きみちゃん像(右写真)」(童謡・赤い靴の実在するモデル)がそれ。
きみちゃんは、アメリカ人の宣教師に預けられるも、既に結核に冒され、船に乗る体力はなく、麻布・鳥居坂の孤児院で僅か9歳の生涯を閉じた、という悲しい話ではありますが…。
もしお近くにお越しの際にはお気軽にご連絡下さい。

(10月1日受信)