「昔々の思い出話」・・・・・・・・・ 藤岡 幹司(1964年入学)

藤岡さん
 歳を取ったせいか、昨日の晩飯何を食ったか思い出せないものの、昔のことが思い浮かんできます。そんなことで、思い出話を断片的に記します。

■大学入学の頃
 入学したのは1964年、東京オリンピックが開催され、東海道新幹線が開業した年です。ただ、入学試験のために郷里福井県から上京の際は、新幹線は工事中で現在の倍の片道8時間以上を要しました。
 当時の1学年の定員は600名。同期入学者は601名で、内女性は1名でした。入学金の額は覚えていませんが、授業料は月額1,000円で、半年毎に現金を持参して納付していました。入試の折にお世話になった親戚のおばさんから「親孝行だね」と、褒められた記憶があります。

■陸上競技と出会い
 長身ながらも、痩身軽量で不器用な私はスポーツが得意ではありませんでした。中学3年の折に、そんな私が「県民体育大会の地区予選の、走り幅跳びに出場しろ」との指名を受けました。ところが、何の指導もないので一人で練習らしきものをして出場したところ、地区大会を2位で通過して本大会では5位入賞し、地元新聞の片隅に小さく名前が掲載されました。記録は覚えていませんが、5M30位だったと記憶しています。
 これが陸上競技との出会いで、その後高校で陸上競技部に入部しました。授業が終わると、高校から5分ほどの県営競技場に行き、練習が終わると5時30分発の電車に乗って帰宅し、夕飯を食べ勉強もしないで寝てしまうという毎日でした。

■110MHとの出会い
 高校1年の時は、走り幅跳びの記録はさっぱり伸びませんでした。シーズンオフに監督の教師から「110MHをやれ」と指示されました。恐らく、私の長身を見込んでのことであったのでしょう。しかし、これも何らの技術的指導はなし。見様見真似で練習しましたが、県の大会では入賞はするもののテープは切ることはありませんでした。 高校時代の最終的な記録は、確か17秒3でした
 大学入学後も陸上競技部に入部し、この種目を続けました。記録は16秒台後半で留まったままでした。ハードリング技術にも問題があったのでしょうが、筋力不足で9台目辺りで酸欠状態となり失速していました。

■織田幹雄さんと田島直人さん
 先輩方のご尽力で、お二人のオリンピック金メダリストのご指導を得ることができました。
 織田さんから頂いたご指導は、当時の後輩に伝授しましたが、概略以下の通りでした。
ハードル5台を並べて走ったのをご覧頂いた後、織田さんから「ミドルの高さに落として、ハードル間を5歩でやってみなさい」というご指導を受けました。何度か目に「オヤー」という感覚がありました。そこで織田さんはすかさず「もう一度やってごらん」と指示されました。そのもう一度の時、正にハードルを跨ぎ越する感覚があり、 一種の快感が体内を走りました。「それを体で覚えておきなさい」とのお言葉を頂きました。 要は、頑張ってがむしゃらに練習しても、基礎がしっかりしていないと駄目ということでしょう。その後の学連主催の記録会で、記録はいきなり0秒3縮まりました。

 田島さんからは技術的なご指導は受けませんでしたが、「君のハードリングは日本のトップクラスと遜色ないよ」と、お褒めのお言葉を頂きました。もしかしたら、おだてであったかも知れませんが。しかし、これはそれなりの自信となりました。
卒業何年かの後にお目にかかった際、「それにしても、藤岡君は走るのが遅かったね」としみじみ言われました。基本的には走力が無ければ駄目なのです。

■レースの思い出
 添付の写真は3年の折に国立で開催された、三商大戦の1台目で1コースが私です。なかなかのスタートとフォームだと自賛していますが、やはり後半失速し2位に終わりました。当時三商大戦は連勝中で、卒業後を含めて8連勝をしたはずです。
 東大戦は3年生の折に勝利しました。これを喜んだ先輩が沖縄合宿を企画されて、翌年3月に実施されました。私たちの世代が沖縄合宿の第1期です。4年の折の東大戦では、それなりの記録達成を目標としていました。スタートからトップでした。7台目の辺りで「勝負に勝った」との思いが頭をよぎりました。この一瞬の油断のせいか、9台目を引っ掛けてバランスを崩し目標記録には届きませんでした。この時の16秒2が私の最終記録です。

■卒業後
 卒業数年後までは、対校戦の折などにグラウンドを訪れていました。「鹿児島の黒豚」を自称していた、元大臣の現役時代の記憶もあります。競技からは遠ざかってしまいましたが、卒業4年目のOB戦に日頃の練習もなしに、11MHを走りました。流石に現役の後輩には敗れましたが、記録は16秒8でした。
 30代半ばまでは、業界の親睦運動会などでは走っていましたが、若い連中の馬力に圧倒されるようになり出場を辞退、それ以降は走ることとは縁が遠くなってしまいました。現在は、健康の為愛犬の朝夕の散歩は欠かさず行っています。ただ、大腿筋の衰えは痛切に感じています。

 2020年の2度目の東京オリンピックまでは健在で、のんびりTV観戦できればと思っています。もしかして、リニア新幹線にも乗れるかな。

(9月22日受信)