「リタイア後の足跡」・・・・・
池田 隆弘(1965年入学)
リタイアして8年(68歳)です。
退職前は、兎に角時間がなく、ほとんど体を動かすことがなく、週1回、2kほどを歩くように走るのがせいぜい。
それで、先ず体を動かし、体力をつけることを考え、体慣らしに、ジョッキングを始めた。2-3kからはじめ、5k走れるようになるまで、半年、10k走しれるようになるまでさらに半年(つまり1年)かかった。とても、「走る」(陸上競技)をするまでにはいかなかった。その頃、松永先輩(S33卒)が、マスターズ陸上で活躍されているのを知り、刺激を受ける。全力疾走(100m)してみたい気分になった。100mなら走れるかと思い、あまり準備せず、初めて、マスターズに出場(2009.9国立)。これが大きな間違い。頭と足の神経がバラバラで、スタート直後に、頭から1回転。ゴール直後、補助員の女性から「大丈夫?」。後の組で出場の西さん(53入学)から、「見てましたよ」と声を掛けられたのには、ビックリするやら恥ずかしいやら。
以来、今日まで、マスターズ主催の競技会主体に、短距離(100、200)と長距離(5000、10kロード)の両方に出るようにしている。
短距離は、全力疾走・瞬時に全力を出し切る(体の)快感、スタート時の緊張感は、今でも魅力。しかし、参加料3−4千円は、10-30秒にしてはちょっと高い。
長距離は、同じ、全力を出し切るのでも、30-60分掛けて徐々に上手く出していく面白さは、短距離とは違う。ちょっと息を抜くと、ガタッと記録が落ちる怖さ。走り終わった後、体全体に感じる疲労感が心地よい。ビールも旨い。
両方、捨てがたい良さがある。
また、どちらか一方にした方が、記録が伸びるとは、私の場合、思えない。短距離練習により、長距離のスピードが持続する、長い距離を走る練習を間に入れることで、全力走による膝、腰への負担を減らせるのではと考えている。
この8年間で、膝痛で、半年以上、走れない時期が2度あった。ゆっくりでも数10mも走れず、階段の上り降りもつらい時期もあり、2度目の時は、本当に、もう治らない、全力で走しれないと絶望感に捉われた。大げさでなく、人生お仕舞いと感じた。
しかし、歩く分には、支障はなく、補強運動をあれこれ試しているうちに突然、嘘の様に痛みが消えた。3度目はならないよう、無理な練習は、しないようにしている。
その為か、昨年は、故障はなく、12回の競技会に出られた。しかし、記録は、退歩するだけ。兼ね合いが難しい。
下記は、リタイア後の4種目の各年のベスト記録の推移。
走り始めて、3−4年目(2008−2009年)がピーク、その後は体力(同じ質、量の練習が出来ない)と共に低下。
【表】リタイア後の4種目の各年ベスト記録の推移
| 2006年 | 2007年 | 2008年 |
2009年 | 2010年 | 2011年 | 2012年 | 2013年 |
100m | 15.70 | 15.65 | 15.33 | 15.35 | − | 15.76 | 16.10 | 15.05 |
200m | 32.93 | 31.88 | 31.03 | 31.33 | − | 32.98 | 32.50 | 32.20 |
5000m | − | 24分45秒 | 23分02秒 | − | 23分56秒64 | 24分37秒 | 24分45秒22 | − |
10k | 51分16秒 | − | 50分09秒 | 48分15秒 | 51分48秒 | 50分38秒 | 50分54秒 | 51分33秒 |
注1.全て、陸上競技部HP「OB・OG戦績」に投稿したもの。 - は、出場なし。
注2.20013年は、追い風参考記録、しかもスパイク着用。他の年・記録は、全てUPシューズ。
100m換算(秒)
| 2006年 | 2007年 | 2008年 |
2009年 | 2010年 | 2011年 | 2012年 | 2013年 |
100m | 15.70 | 15.65 | 15.33 | 15.35 | − | 15.76 | 16.10 | 15.05 |
200m | 16.47 | 15.94 | 15.52 | 15.67 | − | 16.49 | 16.25 | 16.10 |
5000m | − | 29.70 | 27.64 | − | 28.73 | 29.54 | 29.70 | − |
10k | 30.76 | − | 30.09 | 28.95 | 31.08 | 30.38 | 30.54 | 30.93 |
大会と言っても、都、県レベルでは、M65となると、100は、2組、200は1組と参加者は、多くない。それでも順位は常に、ビリかその直前。5k,10kとなると参加者は、10-30人とちょっと多くなる。順位は、半ばよりチョイ上あたり。走れるだけで良しとしている。
しかし、昨年、三商大100mOPで、1年ほど前から再び走り始めた同期の鈴木(跳躍が専門)に、50年ぶりの対決で負けたのは、悔しい。今年7月、再度勝負しようと、お互い目標にしている。
私のような華奢で非力な者が、今でも「走れる」のは、一橋陸上部にいたことそこで知り合った仲間のおかげ、と感謝している。
【写真説明】 2010ゴールドコーストマラソン 5kの部ゴール付近
前年の秋に、格安航空会社の日本就航1周年記念、成田−ゴールドコース往復9980円
(諸税を含めても3万円弱)のキャンペーンに観光をかねて、乗った。2009年は、記録、体調とも良く、
初ハーフ挑戦と考え練習量を増やした途端、膝痛で走れなくなり、10kを申し込んだ。
が、直前になっても痛みが治らず、レース前日、急遽、5kに変更。痛みを無理して走る。
順位197位/ 3206人(5k出場者4歳〜90歳台) M65-69では、1位/38人。
(5月12日受信)