「ミクロネシア連邦で思うこと」・・・
浜田 健一郎(1971年入学)
皆さん、こんにちは。
昭和50年(1975年)卒の浜田です。専門はハードルです。
≪仕事≫
南の国、ミクロネシア連邦で会社経営
卒業後、安田火災(現損保ジャパン)に入社。25年勤務の後早期退職し、現在は、東京にコンサルティング会社を、またミクロネシア連邦にキャプティブ保険会社のマネジメント会社を運営しています。顧客は、日本企業です。
キャプティブ保険会社は、企業自身が作る保険会社で、欧米では、大手企業の多くが設立しています。世界で5000社以上あると言われ、日本社はそのうち100社程度です。
米国勤務時代に、米国企業が保険会社から保険を購入するのではなく、自社でキャプティブ保険会社を設立し活用している様子をまのあたりにしました。企業にとって、このような自由な企業リスクマネジメントを行うことが、企業価値を上げることになると考えたわけです。
ミクロネシア連邦
ミクロネシア連邦は、日本が1920年から国際連盟の委託を受け1945年まで統治しました。
現在日系人が2割でとても親日的な国です。石の通貨(石貨)が今でも使われているヤップ島や、旧日本軍の連合艦隊基地が置かれていたトラック島も今は、ミクロネシア連邦です。大統領はモリ大統領で日系4世。冒険ダン吉のモデルである森小弁さんの子孫です。
パラオ共和国の東、マーシャル諸島共和国の西、グアムの南、赤道の北の南洋の島国です。
1945年以降は、国連の信託統治下に置かれ、1986年に独立。2000年代になって、親日的な環境を生かし、日本企業を相手にビジネスを展開しようということになりました。
現在、私は、モリ大統領、政府、保険庁とともに、保険法、キャプティブ保険会社法、法人税法などを整備し、日本企業の誘致を行っています。
ミクロネシア連邦で思うこと
住んでいるのは東京ですが、昨年は、ミクロネシア連邦に5回出張、多くの時間をそこですごしました。日本のグローバル化は、その意味が時代とともに変わっているのでしょうが、歴史的に、このミクロネシア連邦にも日本国が深くかかわってきました。この国の発展に尽力することで日本国の継続性に寄与することを目指し、日本のグローバル化に貢献したいと考えています。
≪陸上競技≫
マスターズ陸上の競技会に参加しています。
50歳から初めて、10年がたちました。
国立、長居、瑞穂など、なつかしトラックで走れるのも魅力です。
ずっと継続できているわけではありませんが、状態がいい時に、おもに、ハードル競技に出場しています。
現在、東海大学教授・短距離コーチの高野進さん(400M日本記録保持者)が主催しているマスターズチーム(メンバーは15名程度)に入っています。
日本記録を持っている、東海大学OBの100Mの伊東浩司さん200Mの末續慎吾さんとも個人的にも話す機会があり、興味は尽きません。
高野さんの配慮で、毎年クリスマス時期に行われている、東海大学合宿にマスターズチームも参加しています。マスターズは、別メニューですが、12月25日に300Mを30本走る学生を見ていると、気持ちのいいものです。
それにつけても、このような経験ができるのも、一橋大学で陸上競技をやっていたからです。今後も、できるかぎり、陸上競技を続け試合にも参加したいと思っています。
我が一橋大学に、新しい全天候トラックが出来るのが楽しみです。
写真:ミクロネシア連邦のモリ大統領と(2012年5月撮影)
(2月21日受信)