「見るだけ東京マラソンetc.」・・・・・・・・・
渡辺 和紀(1970年入学)
2月24日(日)東京マラソンの日が近づいてきました。
私にとって東京マラソンが身近に感じられるのは、今住んでいるマンションの
すぐ近くを選手たちが走る(したがってすぐに応援に行ける)ことと、ゴールである
ビッグサイトの会場がマンションのベランダから良く見えるからです。
最近、近くの歩道を走っているランナーあるいはランナーの集団が目立つようになりました。
コースの下見といったところでしょうか。
東京マラソンは今年で7回目、2007年が第1回でした。初めての開催という物珍しさから
妻と一緒に東雲1丁目の交差点(晴海通りを走ってきた選手が右に曲がって有明方面に向かう場所です。
ゴールまで2km半の地点)で応援しました。冷たい雨が降っていて寒さが応えましたが、
選手たちが必死になって雨に濡れながら走っている姿を見ると自然に「ガンバレー!」と声が出ていました。
招待選手の中に有森裕子さんが入っており、最後のレースとして注目されていました。
女性選手が何人か続いた後、一段と大きな声援の中、テレビで見慣れたあの華奢な体が目の前を
通り抜けて行きました。長い間ご苦労様という思いで私も「有森、ガンバレー!」と声を掛けていました。
先頭が通り過ぎてから1時間程声を張り上げて応援し続け、自分でも不思議なくらい入り込んでいた第1回大会でした。
第2回大会(2008年)は前年と打って変わって快晴となり、東雲1丁目の交差点で暫く
応援を続けた後、コースに沿って応援をしながらフィニッシュ地点のビッグサイトの会場まで向かい、
スタンドで選手たちがゴールに向かって入ってくるのを見ていました。逆コースで戻る途中、
当時宮崎県知事であった東国原氏が走っているのをたまたま見かけましたが、
パフォーマンスで走っているという印象でした。
テレビを見ながら選手たちが佃大橋を下りてきて晴海通りに入ったらおもむろに応援に
駆け付けるというといった感じですが、先頭の選手を待ち構える中、ヘリコプターの騒音を聞きながら
関係車両に続いて白バイに先導された選手が見えてくる瞬間は、いつ見てもワクワクするものです。
2013年は抽選倍率10倍を超える過去最高の参加エントリーがあったようですが、
学生時代短距離であった私にとって何時間も走り続けること自体、絶対無理というのが本音です。
一種のお祭りとなっている市民マラソンで、走っている方々を見ているとそれなりに楽しそうですが、
やはり参加したいという気持ちにはどうしてもなりません。
というわけで、タイトルが「見るだけ東京マラソン」となった次第です。
<自宅からの景色>
東京ベイエリアの東雲に引っ越してきてから8年になります。
富士山にレインボーブリッジ、パレットタウンの大観覧車、
羽田空港を離着陸する飛行機を部屋から眺めることができます。
冬の澄んだ日の白く雪で覆われた富士山もきれいですが、
夏の夕暮れ時、レインボーブリッジの上に夕日に染まった富士山が
黒く映し出される景色もちょっとした感動モノです。
<卒業〜公認会計士〜現在、監査役>
公認会計士を目指して1年留年した年に合格し、翌年(昭和50年)4月に
監査法人に勤務して以来35年間ずっと会計監査の仕事をやってきました。
なんとか続けることができたのは周囲の方々に恵まれたお陰だと感謝しています。
アーリーリタイアメントの選択が可能となる年、監査役としてキヤノンに行って
ほしいという話しがあり、平成22年(2010年)3月に監査法人を退職し、現在までキヤノンで
お世話になっています。社外監査役という立場ですが、非常勤ではなく常勤のため毎日会社に出ています。
監査法人時代は夜が遅い毎日でしたが、メーカーの皆さんは朝が早く、私も起きる時間が2時間早くなりました。
監査役として毎月経理報告を受けています。(親会社)単独決算の説明に来られるのが
経理本部の長島経理部長で、実は昭和60年卒の陸上部OBです。跳躍を専門にやっておられたとのことです。
長島経理部長は我々監査役からの質問に対しても的確に回答され、担当されている子会社の監査役としても
対応して頂いています。こんなに身近に陸上部のOBがいらっしゃるとはまさに奇遇です。
<陸上部の思い出>
今回、投稿を依頼され何を書いたら良いのかと思いあぐね、初めて倶楽部のホームページに
アクセスして「遠方の朋、近くの友」を開いてみました。同期や存じ上げている先輩の方が
書かれている文章を読むと懐かしい文字がいくつも出てきて当時の記憶が蘇ってきました。
新歓コンパで初めて行った「ハウス」、沖縄合宿(復帰前で生まれて初めてドルを使いました)、
暁の超特急と言われた吉岡隆徳先生の姿等々が思い出されました。
「思い出写真館」では卒業前同期全員で撮ったユニフォーム姿の写真を見つけ、
あの当時は私も精悍な顔つきをしていたと今の姿との違いに年月の経過を感じざるを得ませんでした。
最後に、今回、このような機会を提供して頂きましたことを大変有難く思います。
(写真@) 右側が長島経理部長で、左側が筆者です
(写真A-左) 中央に見える広場が東京マラソンのゴールとなるビッグサイトの会場です。
(写真A-中) 冬の富士山とレインボーブリッジをベランダから撮ったものです
(写真A-右) 夕日に染まった富士山を同じくベランダから撮りました。
(2月20日受信)