「最近の格付会社事情」・・・
後藤 昌平(1985年入学)
近況報告をせよとのことです。最近は、週一回プールで泳ぐくらいで、
人に語れるほど打ち込んでいる趣味もなく、さてどうしようかと悩みつつ、
はや数か月経ちました。世の中や自分自身について考えることは多くありますが、
この紙面にふさわしいものかどうか。延期した原稿締め切りも過ぎましたので、
とりあえず、私の仕事関連のことを書くことにします。
私ごとですが、10年ほど前に銀行から日系格付会社に転職しました。
マイナーな業界ですので、仕事内容の紹介かたがた、最近のトピックについて書きたいと思います。
なお、格付とは、企業や国の債務返済能力に関する信用格付のことです。
昨今、何かにつけ世間の格付会社への風当たりは強くなっています。
米国のエンロン事件にはじまり、サブプライム問題では、米国の格付会社が、
手数料をもらうために格付を甘くしていたのではないかという批判が起きました。
格付会社は、もともと依頼主である企業から手数料をもらって生計を立てています。
仕事を取るために、格付に甘めのバイアスをかけていたのではないかというわけです。
これは(投資家に対しての)利益相反構造といわれています。
一方、ギリシャを発端にした欧州ソブリン債務危機が生じると、今度は、
イタリアやスペイン政府から、「格付会社は、確たる根拠もなく厳しすぎる格付をつけている」と
いう批判が生じました。いずれにせよ、経済の大きな変化が生じた場合は、批判の対象になるようです。
それまで一緒に踊っていた人たちは、かばってもくれません。
このように格付が批判を浴びているにもかかわらず、世界的な信用不安で市場は格付に反応しています。
格付が信頼されているというよりは、市場の材料としてみなされ、言い訳にされているという気もしますが、
いずれにせよ結果として市場の変動増幅要因になっています。そうしたこともあり、
現在は、市場の過度な格付依存をやめさせよう、というような動きがG20などの枠組みで進んでいます。
銀行の自己資本規制の計算に格付会社の格付が利用されていることなどを問題視するものです。
私は、クレジットというものは、捨てる神あれば拾う神ありで、多様な見方がないと
成り立たないと思っているので、世の中が格付に影響されすぎることは好ましくないと思っています。
そもそも信用というものは信用から生まれるものであるというトートロジカルな側面を持っているので、
格付自体が、社会や市場の仕組みに組み込まれると、非常に悩ましいことになります。
例えば、銀行のローン契約にレーティング・トリガーという、格付が下がると、
期限の利益を失うような条項があります。一度、トリガーに抵触すると、クレジット・クリフ(崖)と
いうような現象で、格下げが格下げを呼んでしまいます。こうなると誰も最後の引き金を
引きたくありませんから我先に列車から飛び降りはじめます。一人の行動としては正しくても、
社会全体としては混乱につながります。 格付会社としても、悩むところです。
ところで、格付会社は依頼主の企業から手数料をもらった上にインタビューまでさせてもらいます。
そして、しばらくたって、格付委員会の結果を伝えます。依頼主の期待通りの結果ならばよいのですが、
そうでなければ、“期待”は“怒り”に変わります。諸先輩方が勤める会社からも、
幾度も抗議を受けてきました。話は将来の見通しなので、見解に相違が出ます。
当事者は、将来に向かって頑張ろうと思っているのに、「どうせダメでしょう」と言われるので、
怒って当然です。
アナリストのように、単に言うのと、企業が実行するのは大きな違いです。
根底でそのことをわからなければ、評価はできないと思っています。しかし、
評価を生業としている以上、相手の気持ちがわかりすぎてもできません。
最後は仕事と割り切るしかないのですが、ある意味で、「無知かつ無恥」でなければできないと思っています。
どんな仕事でも、多かれ少なかれ、そうした側面があるのではないでしょうか。
無自覚でいられることは、ある意味、幸せともいえますが、上記のような意識を抱きつつ、
日々、仕事をしています。
さて、最後になりましたが、これまで、入社・仕事・転職など様々な局面で、
陸上部の諸先輩方、同輩、後輩のお世話になり、また励まされてまいりました。
この場を借りてお礼申し上げます。
何かと問題が山積みの日本ですが、われわれ40代が社会の中枢として、
若者を支え、社会を引っ張っていかなければと思っております。よろしくご指導ください。
敬具
(12月9日受信)
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