遠方の朋・近くの友

「サラリーマン生活を振り返って」・・・・・ 船井 康文(1983年入学)


平成24年2月に大学卒業から25年近く勤めた関西電力を退職しました。ずっと関西に在住、在勤していたため、 OBのみなさん、現役のみなさんとはほとんど接することはありませんでした。関西でいったい何をしていたのか、 船井さん これから何をするつもりなのか、サラリーマン生活を振り返りつつ、みなさんにご紹介したいと思います。

「就職のこと」
 生まれも育ちも大阪でした。通っていた高校が東京志向だったので、 あまり深く考えず大学で東京に出てきました。国立の街は大好きで、 ここに一生住めるならという思い入れがありました。 しかし、都心の雑踏は非人間的なものを感じてなじめませんでした。 就職活動を通じてその思いがより一層強くなり、大阪への愛着が呼び覚まされて、 関西外への転勤が少ない会社で働こうと決心しました。

「仕事のこと」
 1年目はコールセンターのようなところで1日中電話をとっていました。 電話の本数がとにかく多かったこと、お客さまからいわれもなく嚇されたり、 怒鳴られたりしたことが思い出されます。結婚前でもあり、職場の先輩と毎日のように飲み回っていました。  2、3年目は本店で核燃料購入に携わっていました。大きな仕事を任され、 サラリーマン生活で最も忙しかった時期です。許認可の申請で東京に出張することも多く、 その際には都心の夜を楽しんでいました。 都心も遊ぶにはいいところだなと認識しなおしました。 この時期に結婚をし、私生活面も充実していました。  4年目以降は本店と支店を行ったり来たりしましたが、 ずっと購買業務に携わってきました。具体的には、 電力用資材の購入契約や工事の請負契約を締結するというものです。 20年以上もよく同じ仕事を続けてきたなと思います。 この時期に一戸建ての家を持ち、子どもも2人できて、 私生活面は順調でした。ただ、後半は仕事のストレスからくる体調異変で、 不本意なサラリーマン生活となりました。

「マラソンのこと」
 31歳になり、肉体的には生活習慣病で健康診断にひっかかり、 精神的にも仕事から達成感が得られず悶々とした日々を送っていました。 船井さん 何か心にハリのできることをしたい、もう一度走ろう、と決意しました。 しかし、大学卒業後はまったく運動をせず、ましてや専門が短距離だった 自分がフルマラソンを走ることになろうとは想像していませんでした。 ところがウォーキングから始め、だんだん速度を上げ距離を伸ばし、 1年半後にはフルを3時間5分で走れるまでになりました。その後は見事にはまってしまい、 30歳代はマラソン一色で、とにかく記録更新のためとことん練習しました。 結局ベストは37歳で出した2時間35分02秒でした。

「退職のこと」
 40歳以降はそれまで以上に仕事に打ち込みましたが、 人事評価に反映されないこともあり、相変わらず達成感を得られず苦しんでいました。 もうマラソンで気を晴らすこともできません。 加えて父、母、叔母と3人の障がい者の介護をすることになり、 追い打ちをかけるように娘も長期治療を要する病を患いました。 ストレスが重なり体調を崩すことがすっかり多くなりました。 先々のことを考えてももう限界で、このあたりで一旦休息をとって、 自分を取り戻そうと考え会社を退職することにしました。 サラリーマンとしては失格でしたが、 家族を始め周りの方が温かく見守ってくれたことには本当に感謝しています。

「今後のこと」
 5年ほど前から今後のことを考えて、地域活動に参加するようになりました。 今では秋祭りのだんじり運行団体の役員として、活動をより積極的に行っています。 地域のみなさんにも広く顔を知っていただけるようになりました。 そういった経緯もあり、今後は地域のためになる仕事をしようと考えるに至りました。 現在は資格を取って開業しようという決意で、資格学校に通っています。 自分なりに必死に勉強していますが、脳の働きも昔のようにはいかないようです。 運よく資格試験合格、そして念願の開業がかなった折には、その旨報告させていただけたらと思います。

写真は、(1)筆者が作成を請負った秋祭りのポスター、 (2)駅伝の一コマ、タスキを受け取ったのが筆者です。

(11月13日受信)