「速く、高く、遠くへ」・・・・・
松井 弘(1967年入学)
陸上部のOB/OGと現役の皆様、
愛知豊橋の時習館高校を卒業し昭和42年(1967)に入学、ほどなく桜の季節に陸上部に
入部しました松井弘です。
4月の入学式当日は、身長が180cmあった故かボート部に目ざとく見つかり、
国立駅から兼松講堂までず〜っと腕を組まれ、しつこくボート部へ勧誘されたことを
懐かしく思い出します。
昭和46年(1971)卒業後三菱商事に入社したのですが、その後あちこち転勤
(国内はつごう名古屋2回/東京3回、海外はソウル/バンコク)があり、
陸上部の諸活動にOBとして中々顔を出せず(出さず?)、今日までそれが習い性になってしまい、
何とも大変申し訳なく思っております。
現役時代は投擲部門に所属し「同期の三バカトリオ(砲丸の藤田孝一さん、
ヤリの河村浩さん、円盤の小生)」と称され、対抗戦では花のポイントゲッター部門の
一角でした。円盤の方は卒業時点では松永宣夫先輩に次ぐ歴代2位の記録(35.4m)だった
のですが、その後新人類の後輩諸君による優れた記録が続々と生まれ、HPを見ましたら、
でもまだかろうじて学内12位として踏みとどまっていることが分かりました。
三菱商事に入社した時、陸上部の先輩で会社にいらした方は、遥か昔の大々先輩である
田辺文一郎さん(当時常務)のみであり、後続の私で30有余年の空白がありましたが、
その後昭和49年(1974)に松江勇吉君(同じく投擲)が入社、以降数年間隔で入社される方が
続き、直近の平成17年(2005)入社の棟広隆君(短距離)に至るまで、三菱商事の一橋陸上部
卒業生は、私の様なOBを含め総勢10名を数える一大勢力に至りました。
斯様な訳で面々が転勤する都度盛大?に歓送迎会をやっております。
現在は三菱商事の流れで液体物流(タンク・ターミナル業)の会社に勤務させて
頂いて居りますが、数年前に手足の痺れがひどくなり、
検査の結果「頸椎後縦靭帯骨化症」という馴染みのない難病であることが判明、
東大病院で頸椎切開の大手術を受けました。然し乍ら未だに外出時には
杖が手放せない情けない状況下、毎日大塚駅から有楽町駅まで山手線に
揺られ元気に通勤しています。
さて、改めて申すまでもなく、陸上競技はひたすら黙々と練習し、
その成果として、レベルは二の次で己の記録を少しでも伸ばすことに喜びを感じる
極めて崇高なスポーツですね。どのパートでも同じで、私たち投擲部門にあっては
バーベル・トレーニングがキツかったのですが、長距離の方々が「ヒイヒイ、
ゼエゼエ」喘ぎながら苦しそうな形相でひたすら走っている姿に心底感銘を受けたものです。
現役の諸君に申し上げたいことは、いずれ社会人になった時にいろんな苦労をされる筈ですが、一橋陸上部で培った経験が必ずや拠り所になり、ナニクソ精神で乗り切っていけること、私のささやかな経験ですが100%間違いありません。
最後になりますが、こうして還暦を過ぎますと、卒業してその後いろいろあって今日を迎え、
現役時代に寝食を共にした陸上部仲間の方々と時々会って、盃を交わしながら、
楽しかった思い出やら近況披露に花を咲かせ、和気藹々と歓談できることが至上の喜びだと、
つくづく噛みしめている今日この頃です。
写真は、10月1日(月)の中川さん帰国歓迎会の様子。
向かって左から、筆者、中川さん(1978年卒)、岡さん(1990年卒)、半田さん(1980年卒)。
(10月23日受信)
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