遠方の朋・近くの友

「ジョギングと私」・・・・・ 鈴木 仁(1966年入学)


鈴木仁さん  社会人になってからは、通勤途上の徒歩、偶のゴルフ以外は、 然したるスポーツをしてこなかった私であるが、唯一例外は、ジョギングである。 とは言っても、年々「一回に走る距離」、「走る頻度」は夫々縮小・減少しており、 「ジョギングをしています」とは正面切って言いづらい状況になりつつある。

 こんな状況ではあるが、社会人になってから四十数年、 数少ない「出場したレース」は、私にとってはジョギングの延長線であったが、 良い経験であったので、思い返してみたい。

 その一つは、中東「バハレーン」(「バーレーン」と表記する場合もある)に 勤務時、英国人の主宰するジョギング・クラブに参加していたが、そのクラブチームの メンバーの一員として、砂漠を走るバハレーン駅伝(現地では、「バハレーン・マラソン・リレー」 と称していた)に参加したことだ。時期的には初冬であったが、それでもかなり暑かった。 それにも拘わらず娯楽の乏しいお国柄もあってか、見物客、応援の人は意外に多く、 皆一生懸命走るランナーに大きな声援を送っていたのを思い出す。 バハレーンは、淡路島ほどの小さな島国であるが、こうしたジョギング・クラブ等を介して、 知己が広がったのは有り難かった。

 二つ目は、ドイツ・フランクフルト勤務時、地元のフランクフルト・マラソン大会に 参加したことだ(当時47才、参加者約6300名)。私は陸上競技を行いながら、 鈴木仁さん フルマラソンの経験のないことが、長らく何となく心残りであったが、参加の機会に 巡り会えて幸運であった。街の中心地メッセ・タワーから郊外のヘキスト往復の42.195kmで、 学生時代に30km迄しか走ったことのない私にとっては、「マラソンは35kmからが本番」を 実感させられた。ジョギングの延長線上で参加した私にとっては、まずまずのタイム(3時間18分32秒)で あったが、何よりも第一目標の「完走」を達成できたのが嬉しかった。その時戴いた「完走記念メダル」と、 「完走者全員の名前を掲載した地元新聞」(Frankfurter Allgemeine Zeitung)は、 今でも手許にある。

 ジョギングをベースにしたレースの思い出を二つ申し上げたが、 いづれも私の自己満足の域を出ない話であり、聞き流して戴きたい。  今では、専ら一人で自宅周辺の小川沿いや小径をジョギング(又はウォーキング)をする程度 であるが、四季折々の草花や自然の変化を楽しんでいる。

写真は、(1)バハレーン・マラソン・リレーと(2)フランクフルト・マラソン

(9月24日受信)