「大学出てからちょうど40年」・・・・・
雪本 寿嗣(1968年入学)
私は1968年に一橋に入学、1972年に卒業しました。
陸上部には入学後即入部ということではなく、
クラスの友達から誘われ、2ヶ月ほど経ってから入った
ように思います。
高校までは仲間と時々長めのランニングをやっていた
程度で、陸上はほぼ素人でした(当時そういう人が陸上部
に多かったと思います)。
大学の陸上部では中長距離パートに属していました。
色々思い出はありますが、
当時部長であられた都留教授の別荘をお借りしての
夏季軽井沢合宿、秋季の箱根駅伝予選などが特に
記憶に残っています。
軽井沢は、夏休みで長く実家に帰りほとんど練習も
せず迎えた合宿でしたので、きつかったのですが、
小諸往復長距離走、浅間山登下山など景色も良く
大いに楽しめました。合宿したメンバーが順番で料理を
作るのですが、私のテンプラが上出来で、その後
料理に自信を持ったのですが、最近の腕前をみるに
その面影は全くありません。
箱根駅伝の予選は大学3年時検見川で行われ
私も奮闘したのですが、11月末というのに異常に
暑く、コースの最後が長い上り坂でヘトヘトになりました。
4年生の時の予選は確か八王子で行われたと
思いますが、4年生ということで練習もほとんどせず、
また夜型の生活を送っていた為、前日がほぼ徹夜
という状態で臨みました。完走出来たのが今でも不思議です。
卒業後、総合商社に就職、当初4年間は国内商売の
部署にいましたが、その後35年近く自動車の輸出に
携わっていました。
海外駐在はつき物ですが、私の場合、イラク(イランとの
戦争の真っ最中)、カメルーン(世界で最も不快指数の高い国)、
トルコ、スロベニアと海外駐在し、またウクライナ(独立当初)、
中国に長期出張しました。
どうも僻地の駐在、長期出張が多く、欧米など先進国しか
経験していない同僚を恨んだりもしましたが、
就職時予想だにしない地域に行け大変貴重な経験が
出来たと家族共々思い込むことにしています。
2年前に61歳で退職、現在八王子の多摩ニュータウンに
住んでいます。海外駐在が多かったことも原因していますが、
東京地区だけで、学生時代の2箇所を含め現在の住居は
10箇所目ということになります。
海外駐在時も一地域で2-3箇所は住居を変えるという
めぐり合わせとなり、内外で都合20回以上は引っ越したの
ではないかと思います。
実家の関西に戻りたいとも思う半分引越しはコリゴリという
気持ちもあります。さて将来どうなりますやら。
以上思いつくままに書きとめましたが、最後に皆様の
御活躍と御健康をお祈りします。
写真は、(1)都留先生の別荘での軽井沢合宿(1969年)と(2)スロベニア
(9月14日受信)
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