遠方の朋・近くの友

「私とマラソン」・・・・・ 西脇 威夫(1988年入学)


1988年入学ですが、大学には6年いたので1994年卒業の西脇と申します。 弁護士をやっているのですが、今年8月1日から独立して東京の虎ノ門に法律事務所を 構えることになりました。サンフランシスコのMarshall Suzuki Law Groupと協力して やっていくので「マーシャル・鈴木総合法律事務所」という名称でやっていく予定です が、経営的には私個人の事務所になります。法律問題で何か困った場合には、 また将来困らないために是非ご利用下さい
(連絡先メールアドレス: takeo.nishiwaki@marshallsuzuki.com)。 今までの経験を生かして、 企業法務とスポーツ関係を中心にやっていくつもりですが、一般民事も対応させていただく予定です。 業務の中心に我が業界ではまだマイナーな「スポーツ」を加えさせていただくのは、 陸上部での経験を仕事にも生かしたいという思いがあります。(以上宣伝終わり)。

 さて、自分は中学からずっと陸上部短距離で、高校からは400メートルを中心に 練習をしていました。大学時代は、まだ学内記録として残っているマイルリレーの メンバーと一緒に練習でき環境にも恵まれていたにも関わらず、 自身の高校の時の記録すら破れず、記録の面では暗黒時代でしたが、 自分なりにベストを尽くせたので、大学まで陸上を続けてよかったと思っています。 記録がふるわなかったにも関わらず、大学卒業後フルマラソンで3時間前後で 走れるようになり、周囲からうらやましがられたりしているので、 吉備路マラソン 誰でもサブスリーで走れると思っていただけるよう、 ここでは私の卒業後のフルマラソン遍歴を紹介させていただきたいと思います。

 マラソンを始めたのは、大学5年生の時、本格的に司法試験モードに入り、 その勉強の合間に気分転換のためにジョギングをするようになったのが きっかけといえるかもしれません。司法試験合格後の研修期間には 毎朝10キロ〜20キロ走るようになりました。太るのはいやだけどたくさん食べて 飲みたい、というのが、それ程長距離に強かった訳でもないのに朝から20キロ 走る動機だったと思います。私の初めてのフルマラソンは、 1995年2月に岡山県総社市で行われた吉備路マラソンで、 自分の予想をはるかに超えた3時間8分6秒でした。あまりにもいい記録で走ってしまった ために、その後マラソンにのめりこむことになりました。 こんなに良い記録がでた理由はよく分かりません。 疲れに鈍感なだけかもしれないとか思っています。 走っている間考えているのは「早くゴールをして休みたい」です。

 1996年に弁護士になっても朝家の近くを15キロ〜25キロくらい走ってから 通勤する習慣は続き、1997年1月の2回目のフルマラソンの 新春東京喜多マラソンの記録は3時間10分28秒、1998年2月の3回目の 勝田全国マラソンで、3時間3分24秒とサブスリー目前まで迫り、 約2か月後1998年4月19日のかすみがうらマラソンで、 2時間56分10秒と初めて3時間をきることができました。 この時は一橋陸上部OBも何人か参加されていて、何人かにゴールの後、 声をかけてもらえたのもいい思い出です。そしてその年の30歳の冬 1998年11月29日につくばマラソンで2時間51分07秒で走ることができ、 これが今のところ(というかおそらく生涯)のベストです。 この時はなかなか疲れないなぁと思いながら走っているうちにゴールしてしまった、 という感じでした。

 2000年7月からアメリカ合衆国ワシントン州のワシントン大学LLMに留学しました。 日本ではマラソンブームは影も形もありませんでしたが、 シアトルやその次の年に住んでいたサンフランシスコでもランニングは盛んで、 シアトル シアトルで授業の合間に近くの湖に走りに行くと、 平日昼間にも関わらずたくさんの人が走っていました。 レースでもランニング用のベビーカーを押しながら走っている人もいたのも 印象に残っています。日本だったら禁止しそうな気がしますが、 そのオープンな雰囲気がとても良かったです。そういう環境でしたので 私も毎日10キロ〜25キロくらい走り、2001年5月には、カナダのバンクーバーで 行われたフルマラソンで2時間57分01秒とつくばマラソン以来のサブスリーを 達成することができました。その4日後の5月10日に家の近くを走っている途中に倒れ、 頭がい骨骨折、硬膜外血腫など、重症を負いましたが(今でもバランス感はもどらず、 右耳も常に耳鳴りがしてよく聞こえません・・・)、 フルマラソンとの因果関係はないと信じて、「食べて飲んでも太らない」ために、 2001年10月頃から15キロ〜25キロの朝練も再開しました。2002年に帰国した後、 そろそろとハーフを中心にマラソン大会に出始め、 2004年第6回長野マラソンで久々にフルマラソンを走り2時間56分24秒と 満足する結果を出すことができました。それからコンスタントに3時間を 切れるようになりましたが、2008年の長野マラソンで2時間59分で走ったのが 最後のサブスリーで、その後は子供が生まれて練習が思うようにできなくなったのと、 きっと寄る年波もあって3時間をきっていません。でもまだ、いつかはきっと、 子供と走って勝ちたい、うまくいけば3時間をきって走りたいと思っています。

 自分にとって、学生時代の部活は(記録が悪いので恥ずかしいですが、 気持ちとしては)本業で、授業は副業でした。マラソンは、それとは区別して、 気張らず、楽しく、趣味を越えないレベルでやっています。 それにしてはちょっと距離を走りすぎではないかと思われそうですが、 走っている間にいろいろな仕事のアイディアが浮かぶこともあるし、 とてもよい気分転換になるので、仕事の一部といえなくもないと思っています。 走り始めると、いつも陸上部で走っていた時のこと、すなわち、膝の出し方、 着地の仕方、腕振り等のフォームのイメージや当時の仲間達の顔や 国立のグラウンドの光景が目の前に浮かんできて、当時の気持も思い出し 楽しい気持ちになります。これからもずっと走っていくのだと思います。

写真は、(1)そうじゃ吉備路マラソン (2)シアトルのランニング風景
(7月20日受信)