遠方の朋・近くの友

「街の風」・・・・・ 野崎 敏郎(1984年入学)


会社に入り多くの街に出かける機会を得て、多くの街の風に接してきた。 風はその地のあり方、その地に住む人の生き方を文字通り皮膚感覚で教えてもらっているように感じる。 湿って熱い東南アジアの風は慣れるまで大変だったが慣れてしまえば心地よい。 中国の内陸では一夜にして風が一変、まるで昨日とは別な土地にいるかのような天候に 野崎 遭遇して戸惑うことが多かったが、果たして人も物事も一夜にしてひっくり返るような出来事に何度も遭遇した。 欧州の風は夏でも冷たく重く感じたのは、仕事上の信頼関係は堅牢だが、 互いの歴史によるものなのか考え方の根本部分が共有できず、深い溝を感じたためだったようだ。 当地に赴任後出張するようになった南米の風は爽快そのものだが、サンパウロの街中にある 大坂橋から鳥居をくぐって東洋人街に入った時に風が一変、先人がこの地で信頼を得るまで どれほどの苦難を経たかを感じて胸が一杯になった記憶は新しい。そしてニューヨーク、 マンハッタンでの暮らしは現在5年目となったが、この街は日々勝手気ままな風に吹き、 そして季節を問わずどの風も軽い。人間関係が希薄というわけではないが深い付き合いにならず、 日々の出会いと別れが忙しく、過去を顧みずにひたすら次の結果を追う切り替えの早さが求められる街である。

学生時代は中長距離だったこともあり、走る時間は変わらず距離がだんだん少なくなる不甲斐なさを感じながらも、 会社に入った後も週末その日の風に任せて10〜20km位走っていた。ところがニューヨークに赴任後なぜか走る気にならず、 日本から持ってきた新品のランニングシューズは箱を開けずのまま4年余りが過ぎた。 昭和の時代に陸上と関わった自分には、走ることは自分研鑽であり、自己記録を目指して走る 野崎 という意識が強い。学生時代はお世辞にも陸上一筋だったとは言えず、試合で勝てる力量に及ばなかった 部分も大きい自分が言うのもおこがましいが、一応毎日陸上のことを考えて過ごしてきたと言っても良いだろう。 大学では歴史に関わり、現在は過去の結果であり未来も現在の延長線上にあるという考え方を学び、 陸上とシンクロさせながら自らの生き方としてきた。

ニューヨークは結果を求められる街、一方で結果はそう簡単には出ない、 それだけに一つのものにこだわらずに次々とチャンスを求めてゆく考え方が強い。 仕事のみならず趣味も同じ、良く言えば貪欲、悪く言えば節操ない。 陸上のシーズンは夏から秋、一年を通じて陸上に「打ち込む人」はチャンスを自分から手放すようなもの、 といわれかねない。歴史がないゆえ、また世界中誰にでもチャンスをつかむことができる この街の矜持なのかもしれないが、映画のワンシーンのように自分の良い場面を切り取り、 使ったら手許に残さずにさっさと捨てて次に進むのがこの街の王道らしい。 私も仕事上はこの街の風の軽さを生かしているが、こと陸上に関しては 曲がりなりにも一年を通じて国立の風に向かい、その一日一日を糧にしていった 野崎 自分にとってこの街の風にはどうも違和感がある。 今年2月、久々に東京に行った。東京の風も乾いた風だったが人工的で 人の気配が感じられなかったことが少し気がかりだった。 ニューヨークの風は人の気配がうごめく刺激的、魅力的な風であり、 決して無機質ではない。今、国立の風はどうだろうか? 学生時代、 色々な風に接することは有意義であることは言うまでもない。とはいえ同じ場所で学業、 スポーツを通じて日々風と格闘することこそ学生の本分だったと改めて思う。 国立のトラックや多摩川土手を走ったことが今の自分を形成しているのは間違いない。 日本に戻ったらまた走り始めよう。ニューヨークにいる間、陸上はインターバルと 割り切ることとしよう。あまり知られていないがニューヨーク市では公共の野外での飲酒は禁じられている。 セントラルパークで走った後、公園でビールなど飲んでいると罰金である。 もっとも罰金を払えば飲んでも良いという考え方もあるのもいかにもニューヨークらしい。 ただこの地の軽くて勝手気ままな風の中では、自分の時間はヤンキースタジアムでのんびりビールを飲むのが合っているようだ。

(7月31日受信)