「異国の研究室で考えたこと」・・・・・ 森井 一成(1999年入学)こんにちは。1999年入学で短距離パートに所属していた森井です。 卒業後は経済産業省に入省し、4年ちょっとの霞ヶ関勤務を経て、 約2年半をイギリスの片田舎で、約半年をアメリカの東海岸で過ごしてきました。 2010年6月からは霞ヶ関勤務に復帰しているので、 差し詰め「遠方の朋だった近くの友」でしょうか。 在外の3年間は、ウォーリック大学政治・国際学部の博士課程に在籍し、 博士論文の執筆をしてきました。 論文の内容は偶然にも、室井君が触れているミャンマーに深く関係しているのですが、 今回は研究についてはさておいて、私が実際に生活していたイギリスについて 書きたいと思います。イギリス、とりわけロンドン以外で生活を始めた日本人の多くは、 その公共インフラ・サービスのひどさに落胆します。 電車やバスの遅延・運休は日常茶飯事ですし、 役所や企業の電話・窓口対応にはフラストレーションがたまることしばしばです。 ほんの一例ですが、ある日、私の住んでいた片田舎の借家に、 メーターチェックすらしていない「概算払い」の光熱費の請求書が届きました。 「あなたの家は、弊社が計算した平均使用量によればこれだけ使っているはずなので、 支払いをお願いします。もし実際の使用量と異なる場合には、 メーターを確認して連絡してください。」この冷淡さは、 「お客様は神様」の手厚いサービスに慣れた日本人には耐え難い仕打ちに感じられます。 しかし、よくよく考えてみると、ひとつの「合理的」なシステムなのだと 気づく場合もあります。上記の光熱費の例では、支払いは最終的に借家を出るときに 精算すればよく、途中の過払いが嫌ならば、メーターを確認して連絡すれば すぐに新しい請求書を発行してくれます。 片田舎の全ての家のメーターチェックをする人件費を考えれば 電力会社にとって経費削減になりますし、電力会社が適正な価格設定さえしていれば 消費者にとってもメリットがあるはずです。 もちろん、これを良しとするかどうかは価値観や文化の問題でもありますが。 (そして、どう考えてもひどい話も色々あるわけですが。笑) 自分の「ジョーシキ」が通じない環境に適応するうえで、 その背景にある理由を考えることはひとつの助けになります。 しかし、私が在外の間に見てきた限り、一般に日本人はWhyを問うのが不得意な気がします。 日本社会では大多数の人が寄って立つ「ジョーシキ」を前提に、同じことを、 よりウマくやることが求められがちなので、 WhyではなくHowが重視されているのかも知れません。 実のところ、とりわけ社会科学系の大学教育で求められる最も重要な能力は、 どれだけ意味のあるWhyの質問を設定し、どのような観点から、 どれだけ説得力を持って自分の答(ロジック)を説明できるか、ということです。 この点、日本人留学生の評価は往々にしてあまり芳しくありません。 (但し、実は「日本人」は想像以上に多様化していて、 海外で生まれ育った人や学部から現地に飛び込んで図太くやっている人は 意外に多いということにも気づきましたが。) これは、単なる英語能力の問題ではなく、社会や教育のシステムに 組み込まれた思考様式の違いではないかと思います。 これが悪いのかというと、なかなか難しいところがあります。 日本社会の「ジョーシキ」の中で生きていける限り、 Whyを問うような思考様式はあまり必要とされませんし、 むしろ問わないほうが快適に暮らしていけるかも知れません。 しかし、今や日本社会の内外で起こっている変化により、 「ジョーシキ」の中だけで生きていける人は少なくなっているような気がします。 多くの日本企業が若手を海外に送り出そうとする一方、 海外への留学や赴任に消極的な若者が増えている現状は、 その典型的な帰結でしょう。それでも妥協と折衷でウマくやっていくが 日本人なのかも知れませんが、それだけではジリ貧という感じも否めません。 では、どうすれば良いのか。簡単な処方箋はないでしょうが、 ひとつのカギは、主体的な社会経験だと思います。 誰かに「こうしろ」と言われるのではなく、 主体的に組織や集団の意志決定を担うとき、 「何故そうするのか」を考え、説明する必要が生じます。 多様な考え方を持つメンバーと、違いを尊重し、 お互いに意見を言い合い、方針を決めていかなければいけません。 そうした主体的な社会経験を通じて、Whyを問い、 説明する能力が養われていくのではないでしょうか。 一橋大学陸上競技部には、そういう伝統があったように思います。 多様なバックグラウンドを持つ仲間が、各々の自主性を重んじ、 幹部を中心に時には意見をぶつけ合いながら、 部全体や各パートとしての方針を決めていく。 その過程で試行錯誤や失敗があっても、 それは長い目で人生の糧になっているような気がします。 そして、私は、そうした貴重な社会経験の場を提供する 陸上部であり続けて欲しいと思っています。 (2月6日受信) |