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 「神戸の地からその後のご報告」・・・松江 勇吉(昭和49年卒)

松江さん   昭和49年卒の松江です。現在の勤め先は神戸市、住まいは宝塚市にて、関西在住都合18年となりました。 陸上部では投擲パートに所属、陸上一筋とはとても言えませんでしたが、なんとか4年間在籍させて頂きました。 諸先輩のご指導を得て大いに練習を重ね、1cmでも記録を伸ばしておけばよかったと反省する今日この頃です。 個人記録はさておき、陸上部では良き先輩・同輩・後輩との出会いに恵まれ、勉強の方もサボっていた私としては、 大学時代の唯一の財産と言っても過言はありません。 「ハウス」で飲んだ寿司桶いっぱいの酒で肝臓も鍛えられ、その後の社会生活で大いに役立ちました。

さて、卒業してからは、三菱商事鰍ノ入社、東京本社食品本部に配属され、 主に乳製品の輸出入が仕事となりました。脱脂粉乳・バターあるいは育児用粉乳等が商売のタネです。 乳製品の製造国・輸出国は所謂先進国で、輸入取引の相手先は欧州・オセアニアが中心でしたが、 育児用粉乳だけは輸出取引であり、中東・アジアへも出張、パーレビ国王が失脚する直前のテヘランにも足を運んでいました。
そうこうするうちに、昭和57年に大阪転勤と相成り、私の第一回目の関西生活が始まりました。 その後は、東京、メルボルン、大阪、東京、大阪と転勤を重ねました。担当分野は一貫して食品関係でした。
平成15年、大阪在勤時代に、現在勤務している六甲バター鰍ニいう会社へ出向し、平成19年には同社に転籍しました。

松江さん さて、ここで紙面をお借りし少々の六甲バター咳Rの段お許しください。 六甲バターと社名には「バター」が入っておりますが、バターは製造・販売していません。 昭和23年神戸市で創業、経済学に出てくる「大砲かバターか」の喩ではないのですが、 社名は平和油脂工業鰍ナした。当時の製造品目はマーガリン、このマーガリンを当時は「人造バター」と称していました。 その後、人造バター製造の平和油脂工業は近くの六甲山の名を採り、六甲バター鰍ヨ社名変更しました。 因みに最寄り駅は阪急電車「王子公園」、三商大戦の思い出深い「王子公園陸上競技場」を横目に見ながら毎日通勤しています。  その後、マーガリン製造を縮小、プロセスチーズの製造を拡大して行きました。 製品のブランドは「六甲」ではなく、「QBB」を冠しており、明治・森永・雪印といった錚々たる大乳業メーカーさんの間を 縫って、チーズの世界ではそれなりのシェアを維持しています。
業界での陸上部の先輩には明治乳業鰍フ織田邦利先輩がおられ、大変お世話になりました。 故に、チーズを召し上がる際には先ずはQBB、そして他の乳製品は明治さんを是非とも優先的にご賞味頂ければ大変嬉しく思います。

松江さん 3月11日そしてそれ以降、東日本在住の方々は大変な思いをされたと思います。 私も大阪の千里で阪神淡路大震災を経験しました。当時一時的な食料・水・物資不足等はありましたが、 今回のような放射能汚染・電力問題などは勿論無く、復興に向けた立ち直りは早かったと思います。 一時、関東集中はリスク管理上問題と騒がれ脚光を浴びた関西ですが、 今では関西電力の節電要請がTVで頻繁に流され、原発依存度の高い関西の方がより不安視されているのかもしれません。 会社としては関電の節電要請には対応済ですが、個人としては、節電に協力しつつ、 趣味の水泳・ゴルフあるいは飲み会等を通じ健康で明るい消費生活を心がけて行くつもりです。 (投げやりは続けていますが、最早投擲はTVで見るだけとなりました。)

関西に住んで良かったことは、通勤時間が短い、電車の混み方が違う、自然が近い、 由緒ある神社仏閣が沢山ある、食べ物は安くて旨い、美味しい灘・伏見の酒がある、ゴルフ場が近くに沢山ある、 関西弁は慣れると耳触りが良い、好き嫌いは別として勝っても負けてもタイガースなど盛り沢山です。 一方、ビジネスについていえば、関東の市場規模には遠く及ばず、関西発祥の会社の本社機能(特に営業)も 東京へとなびき、やはり東高西低の感は否めません。但し、個性的な食品企業は今も関西をベースに頑張っており、 身近なところでは洋菓子・パンの日本最先端の地は神戸とも言われています。

以上雑駁に思い出、会社PR、近況等を脈絡なく縷々書き綴りました。乱文お許し下さい。 今後ともよろしくお願い致します。

(2011年9月3日受信)
写真は、「六甲山からの1千万ドルの夜景」と「六甲山から神戸市内を望む」