裏100年史 1983年10月一橋大学陸上グラウンド水没ス
日渡 淳(1983・昭和58年入)
1983年10月16日。よく晴れた朝。ホーム開催の名古屋大学戦に出場するため意気揚々と母校のグラウンドに来た1年生の私は我が目を疑った。何と前日までの雨で(今日は晴れているのに)グラウンドの8レーンが全て水没している。
当時はまだ土のグラウンドの上、やや内傾しているため水ハケが悪く、遠路来て下さった名大の皆さんに誠意を見せるためにも部員一同必死にグラウンド整備に努めたが、正に焼石に水ならぬ雨。無念の中止となった。
代わりに…、と言っては何だが、辛うじて使えるフィールドでは、跳躍・投擲陣が急遽、親善記録会を実施。中長メンバーは、対校ではなく両校混合メンバーで数チームを編成し、キャンパス外周で親善駅伝大会を行った。
…と、当日起きた事を書けば、シンプルに上記の通りなのですが、この話は後日談に尾ひれ背びれ胸びれまで付いて「裏100年史」と呼ぶに相応しい壮大な歴史絵巻になっています。
以下エピソードを箇条書きで。
@試合は中止になったが、レセプションは予定通り開催。両校とも不完全燃焼だった事もあり、会場は荒れに荒れた。近年に至るまで「名大戦のレセプは荒れる」と評判だが、1983年が発端だった、と私は信じている。
A当時は、東大戦終了後に4年生から3年生への幹部代引継。3年生新主将兼中長パートチーフの田中茂夫先輩(1985年卒)にとって、名大戦は初陣だった。
試合前の戦力分析は一橋の圧勝。試合数日前の中長パート一同は、jogに行くと見せかけて、キャンパス内の木立に隠れて圧勝後のレセプ芸を練習する、という余裕ぶりだった。
芸の中身は…、下ネタすぎてここには書けません。
B前述の通り、フィールド陣と中長はそれなりに「競技」を行う事が出来たが、短距離陣は、名大の皆さんも含め、終日グラウンド整備に尽力したらしい。この事は、いまだに当時の名大短距離陣の方々から恨み言を聞かされる。
C中止を経てかえって親睦が深まった事もあり、翌々年(1985)の東京開催時には、当時4年生だった門村慎司先輩(1986年卒)が、大量の牛肉を買い込んで、名大の方々と「すき焼きパーティー」を開く事となった。
しかし、当時国分寺にあった門村先輩の下宿に大人数は入れない。やむを得ず、別の一橋生の下宿で飲む事になったメンバーは、電話の受話器越しに(注:固定電話の受話器。当時、携帯電話はなかった)門村宅の「鍋の煮える音」を聴くのみとなった。
この事は、いまだにすき焼きを食べ損ねたメンバーから、これまた恨み言を聞かされる。
D名大中長パートで私と同期のH氏は、何と私と同じ会社に入社。対校戦が繋ぐ御縁です。2017年知多開催の名大戦時には、一橋ОBに交じって、酒井佳樹君(2005年卒)が経営する一宮の「curry the kitchen」での打上げにも来てくれました。
EH氏と同じ会社に入った事を知ったのは、4年生の時(1986年)の入社前の工場見学。
1500mで直接対決する名大戦の4日前の事だった。お互いビックリ。当時から気性が荒かった私は、「首を洗って待ってろ。叩きのめしてやる。」と工場見学の場をわきまえず、H氏に宣戦布告。
しかし、4日後に知多で行われた名大戦では、H氏は体調不良により出場を回避。(工場見学時には予め分かっていた事だが、H氏はその事を隠していた。)私は、あろう事かH氏の代りに出場した選手にラストの直線で競り負けて2位に。
入社後の出世レースで共倒れになる事を暗示する苦い幕切れとなった。
F陸上とは関係ない話だが…。
水没事件から10数年経ったある日。今や会社同僚であるH氏から電話があった。
聞けば「結婚披露宴に来てほしいのだが、席数が合わないので“会社同僚”ではなく“名大陸上部”側の席に座ってほしい」との事。もちろん快諾したが、生憎その日は臨月を迎えた妻が産気づいた日で、電話の最中も傍らでウンウン唸っていた。こんな日に電話してくるなよ。
妻は翌日に女児を無事出産。今や健やかに社会人4年目。数か月後のH氏の披露宴も、レセプ程ではないが大盛上り。今となっては良い思い出である。
G現在、名大陸上競技部部長・准教授の「みねさん」(と我々は呼んでいた)も当時のメンバー。
先日の知多での名大戦の時も、一橋の応援席に御挨拶に来て下さいました。ありがとうございます。来年、東京でお会いしましょう。
なお、みねさんは「一橋戦のレセプは荒れる」と仰ってたが、前述@の通り、それはお互い様です。
H後に判明した事だが、これまで散々「水没事件」を揶揄してきたH氏自身が他ならぬ雨男で、「H氏×国立」の組合せは、特異日並に豪雨を呼び寄せるらしい。その証拠に、H氏も応援に来た2018年一橋G開催の名大戦は、最終種目のマイルR終了後に、閉会式が屋内に変更になるほどの豪雨。
2019年に私が大阪に転勤する際、西スタ(札幌ラーメン)で開いてもらった送別会の日も大雨だった。でも、何故、西スタで送別会?
Iその2018年一橋G開催(もちろんこの時は全天候に改修後である)の名大戦は、H氏をはじめ多くの名大ОBОGが応援に駆け付け、終了後は「庄や」で両校ОBОGクロスオーバーの飲み会となった。その時の、名大同世代ОGのS女史の発言が秀逸であった。「私は土のグラウンドも知らない。水没したグラウンドしか見た事ない。」(笑)
コロナ禍も漸く収束し、対校戦が普通に開催できる様になった今日この頃。現役諸君には「対校戦を大いに楽しみ、陸上競技が繋ぐ御縁をどうか大切に」と伝えたく書きました。乱文失礼致します。
(1987卒 日渡 記)
HP管理人、吹田追記:
日渡さんがfacebookで話していたグラウンド水没の話は当方初耳だっため、お願いして当時のことを書いていただきました、ありがとうございます。なおこの1983(昭和58)年の名大戦は、70年史上では 『グラウンドが使用できず流会、昨年の雪辱に燃え上京してきた名大の方々にご迷惑をおかけした』 と書いておりそういう背景もあったのでしょう。
さらに追記:
水没したグラウンドなど、当日の写真は無いかを日渡さんに聞いたところ『おそらく無い、当時は皆、全力で復旧工事に注力しており、のんびり写真を撮っていたら張り倒されそうな雰囲気でした。笑』とのことでした・・