浜田安則コーチとの思い出
大垣 秀介 (2007・平成19年入)
浜田コーチには2007年春から2021年夏まで、実に14年もの間ご指導をいただいた。選手・指導者として輝かしい実績を持つ方が突然グラウンドに現れ、一緒に練習をしようと誘ってくださったあの日のことは今でも忘れられない。
事前に連絡を取っていたわけでも誰かの紹介があったわけでもなく、浜田コーチと我が陸上部との出会いは全くの偶然であったから、最初にお話をいただいたとき、突然の提案に各部員の反応はさまざまだったと記憶している。近所に引っ越してきて市川良子さんの新たな練習場所を探す中で我々に声をかけてくださったわけだが、強豪校でもないのに有名な方に指導してもらえることを喜んだ者もいれば、自分とはあまりに違う次元・世界の人が目の前に現れて戸惑った者もいたように思う。オリンピック選手向けのハードな練習を課されるのではないか、ついていけないのではないかと危惧した者もいたかもしれない。
しかし、実際に指導を受け始めてみると、そういった不安は杞憂だったことに気付かされた。「8割の原則」は実際に指導を受けた者であれば何度も耳にした言葉だが、全力を出すのではなく余裕を持ち、効率良く練習を行うことが考え方の基本であり、決して無理をさせることはしない。オーバーワークにならぬように個々の状況にあわせて練習内容を調整し、あるペースでペーランをやる場合でも個別に達成すべき周回数を指示してもらえるので、自分がやるべきことや目標が明確になり、納得感をもって練習に臨むことができた。
スポーツ科学に関する専門知識がない我々に対しても分かりやすく説明していただき、それぞれの練習の持つ意味合いや効果まで理解できたことで、「ただ練習をこなすだけ」では終わらない、より大きな成果につながったように思う。中長距離種目での学内記録誕生や箱根駅伝予選会での総合タイム短縮、27大・荒川など各駅伝大会での上位進出など、個人としてもチームとしても成長して結果を残すことができたのは、部員の考え方を尊重しつつ選手の良さを引き出す浜田コーチの指導のおかげであったことは間違いない。
学業やバイトで忙しく練習時間を十分に取れない者への配慮も欠かさず、無理のないように練習メニューを考えていただく一方で、自分から聞きにくる部員に対しては中長パート以外の者も含めて多くのアドバイスをしていただいた。毎日のように大学に来てグラウンドの整備等をするその姿からは、単に練習をこなすだけでなく練習前の準備も含めて大事であることや陸上競技への向き合い方、ひとつのことに真剣に取り組むことの大切さや楽しさ含めて学び感じ取った者も多いだろう。
また、マラニックのような山での練習など新たな練習法を提案いただき取り入れられたことも、中長パートの長い歴史の中で見ると大きな出来事だったのではないだろうか。彩湖や多摩湖など、学外にも積極的に繰り出して練習環境の良い場所をうまく活用するスタイルは今でこそ当たり前になっているが、練習の方法や場所の選択肢の幅が広がったのは浜田コーチの存在があったからこそだと感じている。近くの高校の陸上部と合同で練習をすることで集団走の人数が増えて練習効率が上がった点に関しても、浜田コーチがいなければ合同練習そのものが実現しなかった可能性が高い。挙げればきりはないが、今回の寄稿文の作成にあたり浜田コーチとの思い出を振り返ってみると、浜田コーチが我が陸上部にもたらした影響の大きさやその凄さを改めて感じさせられる次第である。
元々は市川さんの練習目的で来られたところ、市川さんが引退された後も我々の練習を見ていただき、14年という長期間に渡ってご指導をいただくこととなった。この間に非常に多くの部員がお世話になったから、もしも「浜田コーチとの思い出」というタイトルで各部員が寄稿文を書いたら、それこそ本当にたくさんの思い出話が出てくるだろうし私自身もまだまだ書きたいことが山ほどあるのだが、そのすべてを紹介するとページがいくらあっても足りないのでこのあたりで筆を置くこととしたい。浜田コーチがいたからこそ記録を伸ばす楽しさを経験できたこと、記憶に残る充実した学生生活を送れたこと、OBOGそれぞれの思い出については、大学のグラウンドや対校戦の応援で駆け付けた試合会場など直接会う機会にまた改めて皆で振り返れればと思う。