追悼 昭和37年卒 横手英毅兄を偲ぶ(昭和37年卒)
大塚先輩より追悼文を頂きました。ありがとうございます。大塚先輩は横手先輩と同期入学ですが、卒年では1年下であるため『兄』と敬称を付けているとのことです。なお文中(※・・)の追記はHP管理人によるものです。
横手兄追悼:一橋大学陸上競技倶楽部OB/OG会で昭和37年卒代表理事を務めた横手兄が、2022年(令和4)9月6日17:50黄泉の世界に旅立たれました。
葬儀は2022年9月10日(土)夜、家族葬で取り行われましたが、ご長女の依頼により、同期生から安武氏(前期Wクラス級友&日魯漁業(株)同期入社)及び坂下氏(吟友)の2名が参加、導師として台東区元浅草真言宗古刹の僧侶のお導きにより厳かに 葬儀が執り行われた事をご報告申し上げます。
(※日魯漁業、のちのニチロ。2007年にマルハと合併して現マルハニチロ)
死因は「肝臓癌」、多くの友人の祈りむなしく亡くなられました。横手兄のご冥福を心からお祈りいたします。
1960年夏合宿
後列、立っている方は左から、長沼3 大塚3 野村1 原田3 関口2 横手3 内藤2 丹羽2 漆山1 高橋2 矢島2 天野2
前例、座っている方は皆4年生で左から、前田 金谷 小林 富樫 古高(敬称略)
(※このころの合宿は全員クラブハウス泊、国立グラウンドへの通い合宿。食事は3食ともハウス専属の家政婦さんが準備しました。クラブハウスは大学の西側、徒歩10分程度の所にありました。これについては70周年部誌を参照)
⇒倶楽部ハウス建設の経緯 pdf fileの93頁(本文55頁)
⇒倶楽部ハウスの思い出 pdf fileの63〜78頁(本文135頁)
⇒クラブハウスの生活(横手さんの投稿を抜粋)
⇒クラブハウスのあった場所
1.横手兄の会社定年後の生活
会社生活引退後は、東大和市に御自宅を構え、如水会館での大学同期会にも 常連出席者でした。立川地区での如水会関係の会合にも積極的に参加、囲碁、詩吟等趣味も多く、幅広い交友関係の輪の中心人物でした。
本年(※2022年)3月の地域同期会でも、ビール大ジョッキ2杯を一人で飲み干し、2次会のカラオケ会でも、得意の軍歌を高らかに歌いこなしたやに聞き及びます。奥様が病院療養の環境であり、5月中旬頃立川近辺の友人達と誘い合わせ青春の語らいの場であった国立ロージナで「横手励まし会」を開催しました。
その時、彼は元気そのもの、病気の兆しなど全然感じ取れませんでした。7月の初旬頃から、固定電話が掛からなくなり、思い切って早朝(朝六時)携帯電話を掛け、漸く連絡が取れましたが、体の不調を訴えられて驚いた次第です。立川近辺の友人達とも連絡を取りつつ、皆で「確かな医師による診断」を強く勧めたのですが、生まれつきの医師・病院嫌い」腰が重く精密検査に遅れをとりました。
精密検査結果は「末期肝臓がん、余命1か月」の告知を受けたそうです。そして遂に9月5日18:00、悲しい訃報を受け取りました。急ぎ関係各位に連絡した次第です。
1961年5月 関東IC閉会式
部旗は戦前から引き継いだ当時のもの
2.横手兄の陸上競技部でのプロフィール
岡山県の興譲館高校卒、昭和33(1958)年経済学部入学、後期、板垣ゼミ 身長約175cm若干細目の体つきでした。陸上競技は素人ながら、非常に器用な運動神経を兼ね備えており、ハードル競技を皮切りに幅広く投擲、ジャンプ、短距離と鍛錬を重ねました。先輩、同輩、後輩に好かれる性格で、諸兄の専門指導により4年生の春、昭和36(1961)年5月、旧国立競技場で関東インカレ大会10種競技に参加、強豪に交じり、日頃の技を発揮し、気を吐きました。
「仏の横手」の異名で、卒業後も倶楽部の活動にも率先参加「交友関係を尊ぶ人生」を送られました。
3.一橋大学陸上協議倶楽部OB/OG会の語り部「横手英毅兄」
3.1 1970年中頃 37年卒生同期会での「横手報告」
横手兄より「一橋大陸上競技部 女性新入部員現る」との報告が出ました。女性社会進出が喧伝され中でも、男子陸上競技者の中に女性一人、授業にはほとんど出ず、練習に打ち込む健気な姿に感動を覚えた。
3.2 同期生「出水田孝徳兄」(伊藤忠商事)応援演説
話題に上った大田弘子さん(※1972(昭和47)年入学)は鹿児島県立鶴丸高校の後輩である。鶴丸高校生の一橋大学入学は、出水田兄以来久しぶりの快挙である。彼女の入試準備中は、出水田は彼女の北極星であった(出水田兄自賛)。彼は「大田弘子後輩は将来必ず出世する!」と断定的な予言を出しました。同席同期生は皆、「本当に実現すれば、予言の証人になる」と約束したそうです。
3.3 一橋大学陸上競技倶楽部主催「大田大臣を励ます会」
一橋大学の期待の星、大田弘子女史は、出水田先輩の予言通りか? 2006年「第一次安倍内閣 内閣府特命担当大臣(経済財政策)」に就任、横手兄も勇んで「励ます会」参加しました。大田大臣と会話の際、出水田予言を 披露して大いに盛り上がったと横手兄は大喜びでした。
大田大臣を励ます会 出席者の内の最古参OB組。最前列右端が横手兄(2006年、如水会館)
4.追記
昭和37(1962)年度一橋大学 学部卒業生は530名でした。同期卒業生死亡者リストでは、横手英毅兄は 200番目に当たります。本年(※2022年)は我らが卒業60周年に当たり11月18日には如水会館にて同期会を開催予定です。会にて横手兄を初め亡くなられた同期生の追悼を行います。
一橋大学陸上競技倶楽部は100年に近い歴史と伝統を持つた集団です。第二次世界大戦後、多少停滞の時期がありましたが、
●大先輩(尾本信平先輩、吉見泰二先輩)他の皆様の献身的倶楽部後援
●都留重人先生による13年にも渡る、ご支援。ご指導
●部員の固い団結等
の集積の上に昭和後期、平成、令和と倶楽部の新たな歴史を積み上げて参りました。100年にも及ぶ歴史の積み上げの上に、高い理想掲げて研鑽に努める現役部員諸兄・緒姉に輝かしい未来が開けていることを信じます。
今こそ過去の輝かしき伝統を振り返り、過去の良き伝統を継承し、後世に伝え、新たな倶楽部史が築かれてゆくことを強く願っています。
以上
大田大臣と横手兄(同じく励ます会にて)