追悼 陶山 寿一さん(昭和55年卒)
さる2020年6月28日に逝去された昭和最強のランナー、陶山さん。
後藤哲也先輩から近日(2022年)に頂いたメッセージを追記します。
早いもので間もなく2年になりますか。亡くなる前年の秋頃から入退院を繰り返していたようでした。訃報を聞いた東京海上陸上部関係者の間で彼の人柄を偲び、早過ぎる逝去(63才)を惜しむメールが飛び交っていました。
私は東京海上時代に陶山OBとは仕事の接点はありませんでしたが、倶楽部理事会で彼の「factを選別し積み上げて行く」思考に接し、営業部門でなく流石、損害(旧称・査定)部門出身者だと、印象深かったことが思い出されます。
2期下である西会長からのメッセージ
浦和高校出身で、一橋陸上競技部における昭和屈指の短距離ランナー。
100mの歴代8位に残る10秒6は、1977年に万博スタジアムで開催された三商大戦での記録で、同年の日本10傑にも入る好タイムでした。私は高校時代にその記録を見て、陶山さんと一緒に走りたいと憧れて入学しました。
卒業後は東京海上に入社され、お亡くなりになる1年前にも陸上競技部の同期会にゲストしてお呼びする等後輩から尊敬され、慕われる存在でした。
元監督、前OB/OG会長の浜田さんからのメッセージ
訃報を受けて驚きと残念な気持ちが入り混じり。呆然としています。あまりにも若く、早すぎ、また唐突でした。
2ヶ月ほど前、陶山君からメールをもらい、退院して元気だとのことでした。
陶山君からできればラインをしたいとのことでしたが、私はラインをしていないのでメールでどうか、ということで2,3回メールをしましたが、元気になればまた会おうとのやり取りでした。
今思えばラインをしたいとの彼の気持ちが強く伝わってきます。
私の監督時代の最も強烈な印象に残るランナーでした。私は、記録上の比較はともかく、今でも陶山君は一橋最速の100mランナーだと思っています。大阪で10秒6で走ったレース、また2年生の時に全日本インカレの準決勝で、タイム差であと一人で決勝に残れなかったレースは目の前で見ていて、今でも鮮明に目に浮かびます。
3年生から足の故障がちで学生時代の後半は満足なレースができませんでしたが、医者を紹介して、一緒
に治療に行ったりした記憶も蘇ります。故障がなければ、間違いなく全日本学生100m、200mのファイナリストになっていたと思います。
私は、陶山君が3年生の時に、異動で海外勤務になったためにその後の走り、また西君(現会長)の全盛期の走りも見ていませんが、間違いなく2人は昭和50年代の一橋短距離最盛期を作ったランナーでした。
もう一度、残念です。
合掌